■建築研究資料

都市形成史・災害資料集厚見郡岩地村訴訟記録

小林  英之

建築研究資料  No.70,  1990,  建設省建築研究所


<概要>

  本資料は、岐阜市岩地町の岡田繁之氏が所蔵する、同地区の江戸時代を中心とする訴訟記録であり、その争点が専ら住宅建設および水害に関連した道路修復、災害時の地域間協力体制などにある点が特徴であって、この種の記録がこれ程まとまって知られるのは外に類例がなく、建設史における貴重な資料である。年代的には、1635年から始まるが、1750年から1870年頃の間の記録が大半であり、しかも幾つかの紛争があった時期に集中している。記録の種類は、住宅・道路・堤防等に関する建設申請を行う「御願」、不当な建設行為を訴える「訴状」、役所からの被告への質問に答える「返答書」、裁決の内容を受諾する「請書」などがある。
  住宅建設に関する紛争は、主に門・塀・庇の付設に関するもので、これらは「昔から」一定の「格式」を備えた家にしか許されない、という「村規」あるいは「村法」と、これを破ってこれらを新たに設けようとする村内振興勢力との間の対立が集団内部で独自に解決しきれない争議に発展し、公の訴訟の場で、公の法である「御法」による裁定を仰ぐ、という経緯をたどっている。このことの根底には、水害の多いこの地方における、「屋敷を囲う」ことへの指向性と、そのことの周囲への外部不経済の対立の構造があるように見える。
  この事は、村境の道路の嵩上(「笠置」と称する)を巡っての村落間の訴訟に、より大規模な形で現れている。これは、輪中堤によって村を水害から守る、という手段を余儀なくされた水害常襲地帯の美濃国に広く見られる、輪中堤建設を巡っての訴訟と軌を一にするものと言える。これは、近代の堤防訴訟へと連続していく構造である。
  しかしながら、この一見好ましくない「問題」と見える紛争や訴訟も、結果的に見ると、建設行為を巡って利害が対立する集団間の調整機能を果たしており、建設行為に関連した地域全体としての利益を最大化する方向に解決がなされていることも、見逃してはならないであろう。それは、ある集団の利益のための一つの建設行為が周囲に及ぼす外部不経済を「納得金」という補償によって調整することで、その建設を実現する、という事例に端的にあらわれている。この仕組みによるならば、仮にある建設行為が一部集団にとって利益をもたらすものであっても、全体として不利益が大きければ、それは実現しないであろう。また逆に、全体にとって利益を生む建設行為は、不利益を破る集団が、拒絶と抵抗の姿勢だけを貫くのではなく、訴訟を通じてしかるべき補償を得ることで実現している。
  結果的にそこには、所与の技術水準の中で、その土地の地域的自然条件に最も適応した物的構成が、利害調整を通じて実現されていくような仕組みが見られるのであり、堤防・道路・住宅地の分布や構成などを記録媒体としつつ、そのような仕組みを通じて自然条件や災害に関し学習された情報が、記憶されてきた、と理解することができる。
  地域の集団を擬人化して見るならば、そこでの「訴訟」は、人が「悩み迷い考える」ことを通じて困難を克服していく姿に似ている。


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