最優秀賞(国土交通大臣賞) 小場瀬 令二(筑波大学教授

 

作品名:「コミュ事」のあるまち

 

1.世界一の長寿国日本/鮭は産卵するとそのまま死に絶える。多くの哺乳類も子育てが終われば、親は天寿をまっとうする。人間も最近まで同様であった。しかし幸運にして、日本は適度な気候と豊かさとストレスにより世界一の長寿国になってしまった。黙っていても、20〜30年も生きるのが普通だ。むかしは三世代同居が当たり前で、そこで老人は家の中で必ず役割があり、生きがいがあった。しかし今日、老人世帯にとって、昔の役割は特にない。無為徒食を決め込んでいれば、全く無用な長寿となりかねない。

2.コロリと死ぬために/リタイア後の無用な長寿の時間を浪費するために、老人だけが集まってゲートボールをしているようにも見える。老人は病気でもないのにおしゃべりに病院に行っていると嫌味な指摘もよくされている。少なくとも元気な老人に生きがいを与える街のしくみが必要である。聖書のマタイ伝を持ち出すまでもなく「人間はパンのみで生きている訳ではない」。一方、老人にとって「コロリと死ぬ」ことが至願である。「コロリと死ぬ」には結局、元気に生きる必要がある。そして、元気に生きるためには、生きがいが必要になるのである。

3.「コミュ事」の創造/夫婦共稼ぎ世帯は家庭では家事に追われる。コミュ二ティ活動に参加するより、家で寝ていたいと言うのが本音である。若い単身世帯は、コミュニティにまるで関心がない。他方、老人は家事も限られているし、コミュニティ活動をする時間もある。それが世のため人のためになるコミュニティ活動ならば、老人の大いなる生きがいとなり、本人の健康を維持するのに役立つ。地域に役立つコミュニティ活動を「家事」にならって「コミュニティ事=コミュ事(じ)」と呼ぶことにすると、今後地域にはどんな「コミュ事」を創造していくことができるだろうか。

4.「コミュ事」のドラフト

@コミュ・ペット/癒しを求めて老人の多くが子供の代わりにペットを飼っている。ならば、地域の子供達や他の老人にも開放するペットの飼育が考えられよう。手始めとしては、野良猫の共同ペット化がありそうである。地域に水辺があれば鯉の飼育もよいだろう。また、学校で飼育している動物は鶏舎閉じ込められている。その清掃は児童が担当するが、散歩などは「コミュ事」になるだろう。老人に連れられて街中をアヒルが散歩している光景は様になる。

A食べられる景観/下町の路地には老人が丹精こめた路地盆栽が並ぶ。これらの緑には、街の人に見てもらう喜びがある。これを更に発展させるためには、他の緑以上に人々に豊かさを感じさせる実のなる植物の育成を街中で推奨したい。それほど資金投入はいらず、自家飲食にすれば家計も助かる。また、近所の子供を集めて、収穫祭もできるし、沢山収穫できればご近所にお裾分けをしてもよい。果樹を植えるには、多少の庭が必要だが、弦状の植物ならば、庭が無くても、屋上の利用、外壁の利用で成育可能である。植木鉢でも果樹をならせることは不可能ではない。つまり、庭無しガーデニングである。どうしても無理ならば、街路樹や公園、学校でのコミュニティ・ガーデンの果樹成育もよいだろう。また、今後、郊外地では住宅がますます余り、空地化していく(既に多数の宅地が余っている)。これらの敷地を使って、週末果樹コミュニティ・ガーデニングも検討に値する。

B「コミュ事」作業場/老人世帯はいろいろガラクタをつめこんで生活している。多くは、出ていった子供達が残していった家具や道具などである。これらを中々捨てられないのが老人である。そこで学校の空き教室をそのような不要品集積場にする。そしてそれらの不要品を空き教室なり工作室でリサイクルして、必要な人に再配分するのである。リサイクル作業は、総合教育との連携も考えられる「コミュ事」となる。不要品も有効活用されるならば捨てやすい。

C老老介護/究極の「コミュ事」は、元気な老人が元気の無くなった老人の介護をすることである。元気な老人だけでこれをすることは難しいが、介護保険でカバーしきれない部分をサポートすることが考えられる。地域通貨をこれに絡めることも可能である。

.「コミュ事」のある街の空間的イメージ

@コミュニティの中心に再び学校を据える=学校は先生と児童のためのだけの空間ではなく、コミュ事もする空間として再編成する。

Aエイジングのある空間=老人にとって思い出の場が消滅するのは身を切られるものがある。そこで、住宅地の空間的安定性が重要。そのためには、特に宅地の再分割について計画的な配慮が必要である。また各自治体で実施されている保存樹指定から発展させて、植栽空間のランドマーク指定して、その空間を保存する場合は、固定資産税や相続税制上の優遇を行なうことが考えられよう。

B街を眺める道=食える景観を楽しむために、歩行者や自転車が優先され、車が遠慮して走る街。

 

以上、老人に生きがいを与え、元気に生きてコロリと死ねる街を提案したが、こう書いている本人が、物に固執し、無用な長生きをするのではないかと心配である。

 

 

 

最優秀賞(住宅生産団体連合会会長賞) 大野 拓也(兵庫県社会福祉事業団研究員)

 

作品名:地域に住み続けられるために

 

人々は人生のある時に住宅を手に入れ、その住まいを定住先とすることが多いと思われる。住宅を探す時の判断基準は、その時点で考えられる近い将来を意識したものであることが、ほとんどではないだろうか。しかし、日々の暮らしを重ねていく中で、家族構成・身体機能・生活環境などの変化が生じてくる。これらの変化に対応するために、住宅の改築や改造、引越といった手段が取られる場合もあるが、そのまま我慢して住み続ける人々も多いのでないか。また、大半の賃貸住宅のでは、改造することが禁止されている。

自分や家族の身の上に想像できなかった事態(体が不自由になるなど)が起こったときに、同じ住宅に住み続けながら、早急に対応することは難しい。そこで、こうした不測の事態が起こったとき、あるいは生活志向や環境が変わった時に、適切な住宅をすぐに見つけることができ、住み慣れた地域を離れることなく、手軽に住み替わることができれば、近隣の友人知人達と離れることなく、現状の生活が維持できる。そのことにより、まちはもっと住みやすくなるのではないか、と私は考える。このような「簡単に住み替えのできるネットワークのあるまち」に私は住みたい。

以下、「住み慣れた地域を離れることなく、手軽に住み替わることができること」のよさを、家族構成、身体機能、生活環境の三項目について、それぞれ述べてみる。

 

1.家族構成の変化に対応

一人暮らし、新婚夫婦、子どもが成長した世帯、子どもが独立した夫婦のみの世帯、高齢の祖父母と暮らす三世代家族など、各々の家族の成長や人数の増減といった家族の移り変わりに合わせて、住まいを替えられるとよい。

例えば、子供が大きくなり個々の部屋を用意したい時には、部屋数の多い間取りの住宅を選び、彼らが社会人となり家を離れたときには、夫婦でゆったりと部屋数が少なくても広めの住宅を選ぶなどの工夫ができる。

 

2.身体機能の変化に対応

 病気・事故等で体に障害が生じ、現在の住宅で住み難くなった時には、バリアフリー対応の住宅に移ることにより、快適な生活を続けることができるとよい。また、高齢になり体力が衰えてきた時には、同じ地域(コミュニティ)の中にある高齢者対応の住宅に移ることで、顔見知りの居る同じ地域コミュニティにそのまま住み続けることが可能となる。

 これまでは、身体機能の変化に対応するには、まず住宅改造を行うことを第一に考えてきたが、必ずしもそれが得策ではないだろう。こうしたバリアフリー住宅、高齢者住宅は、公共交通や公益施設の充実した地区周辺に計画されていることを前提とする。

 

3.生活環境の変化に対応

数年で勤務地が変わる人々(転勤族)にも、望まれる住宅を提供できる。また、数年単位だけではなく、月単位、週単位での住宅を探すこともできるようにすれば、例えば、恵まれた自然環境の中での生活を希望する家族には、一定期間の滞在も可能である。いわゆる週末住宅としての利用だけではなく、そういった環境の中で勤務したい人々に、平日住宅を提供することも考えられる。

 これまで述べてきた案について、私が考える具体的手法について簡単にふれる。

 

1.空き住宅の情報管理と提供サービスを行う

 住み替えを望む家族が、希望するプランの住宅に関する空き家情報を簡単に得られるように、地区全体の住宅に関する情報を一括もしくは共同で管理し、希望者の要望に応じて提供する。

 

2.住宅の様々なプランを整備配置する

 前述した様々な生活スタイルを想定した部屋数や広さといったプランの住宅を建設、補充していく。その時に、同タイプの住宅ごとがまとまったゾーン分けをしない。そのことにより、異なった家族形態、年齢層が住む地域コミュニティ(Mixed Generations)が形成され、地域の多様性を生むと共に、地域の活力を損なうことを防げると考える。

 

3.住宅のメンテナンス(維持・管理)を定期的に行う

 日本では欧米に比べ、住宅への維持管理の重要性が、人々にあまり認識されていない。定期的に住宅に手を入れていくことで、新築ではなくとも住宅の質の高さを保つことができる。また、中古物件の価値を再認識すべきであり、土地の値段が全てで既存建築物が価値のない現状は、絶対に見直されるべきである。

 

これ以外にも、具体的手法については、さらにあらゆる方法が考えられるであろう。最も重要なことは、「人々が健康に幸せに暮らしていくためには、各個人の生活にあった適切な住まいを住み慣れたまちで確保できること」だと私は考える。そのための方策が整ったまちが、私達の21世紀の暮らしを支えるのである。 

 

 

 

最優秀賞(建築研究所理事長賞) 宇賀 亮介自営業)

 

作品名: どこにでも座り込めるまち

 

◇日本人における座り込むという行為

 日本の中世や近世の絵、明治時代初期の頃の写真などを見ていると、まちの様々な場所で人々が座り込んでいる光景を発見することができる。そこには人の輪が生まれ、安堵感や憩いというような安らぎに似た雰囲気を感ずることができる。

 しかし、明治時代も後半からの写真になると日本の都市は急速に近代化を成し遂げ、かつてのまちに見られたような人々が辻々に座り込んでいる光景を目にすることはなくなっていく。道は舗装され、敷地一杯まで建物が建ち、歩車道は分離され、まち行く人々が座れる場所は公園のベンチや有料の飲食店の椅子しかなくなってしまった。日本における都市化とは、地面から人々を引き離し、道端に座り込むことを許さなくすることだったと言えるのではないだろうか。

 最近、まちの色々な所で座り込んで食事や談笑する若年層を「ジベタリアン」と呼んだりするが、強烈な日本の近代化の発展プロセスとは無縁な、この世代の人間の一部にこのような現象が現れていることは、日本人の習性として実はごく自然な行為なのかもしれない。

 事実、この世代に限らず、我々日本人の多くは花見の季節になれば、桜の木の下で、みんなで地べたに座って車座になって飲食することを喜ぶ。花見とは樹木の枝葉の下に座り込み、木を見上げるという一連の行為を指すものであり、樹木と人間の交歓はこのようなスタイルをとることで初めて成立しているのではないだろうか。

 「颯爽と闊歩する」というのが現代都市のスピードや自立した個人を表すスタイルの一つだとすれば、「座り込む」というのはそれと対峙するものとして、安らぎや人の輪を表すものだと位置づけることができる。座り込むという行為は日本におけるコミュニティの最も原始的なスタイルとして再評価していくべきである。

 

    どこにでも座り込めるまちづくりの考え方

 現代都市の歩行可能な公共空間の大部分である歩道や道路は、人や車両が通過することを前提としたもので構成され、さらにそれらは建築物からは明確に分化された移動空間にしか過ぎない状況になっている。

これら公共空間の大部分をしめる道空間に座り込むという行為を、その空間の成立要素として大きく持ち込んでいくことで、まちの人に対する人間性の回復の契機となることをねらっていく。

 

    どこにでも座り込めるまちづくりによる効用

 通過を前提とした公共空間においては、人間の通過行為への対処療法的なバリアフリー(障害解除)しか展開することしかでない。それに対し、全ての人に対して休息や憩い、さらには人との語らいをもたらす契機となる「座り込む」という行為は、それそのものがユニバーサルデザインである。座り込める空間を公共空間に持ち込むことが、まち全体が真に人に優しい空間になれることにつながっていく。

また、不特定多数の人間が行き交う路上において原始的コミュニケーションスタイルである座り込める場を提供することで、コミュニケーション本来のダイナミックな発生要因である自発性・偶発性が担保される。まち全体をコミュニティスペースとして捉え直せば、わざわざコミュニティスペースと銘うって建物を建設する必要はなくなっていくだろう。

さらに、座り込むことは佇んでまちを見渡すことである。まちを見渡すことで、まちに対する関心や愛着が初めて生まれ、まちの治安や美観の形成にも寄与していく。現代の機能的に単に通過するためだけの公共空間においては、移動のためだけの、まちしかつくりえないだろう。

 

    どこにでも座り込めるまちづくりの手法

 人間は最低限、水平な面があれば座り込むことが可能である。これにさらに背もたれのための垂直面、日影や雨露をしのげる庇や樹木があれば、座り込める場所はより快適なものとなる。

 このような座り込める場を快適に成立させる要素は、実はまちの中に多く現存している。例えば、街路樹脇には切り株やベンチ、ビルの壁面には座板、住宅の玄関前に縁台など、これら、まち中の既存の要素に座り込めるための水平面を付加していくだけで、快適にそしてどこにでも誰もが無意識に座り込める場所をつくることが可能である。

 これは建築物の中から人々を、まちへ出させることを意味している。建築物の透明性をいくら物理的に確保しても、そのシェルター性を打ち消すことは困難であり、内部にいる人間を路上に出させて、まちにアクティビティを作り出していくことが必要である。

 また、建築物や敷地を繋いでいる路上に人々が座り込み、隣家や隣地の人間とコミュニケートし、眺めるという行為が発生することで、路上がコミュニケーションの媒体としての機能を発揮し、自閉的・自己完結的になっている個々の建築物群や敷地同士の関係を作りだすことが可能になる。

 これら一連のことが、まちの賑わいや活気を創出することにつながっていくと考えられる。

 

 

 

優秀賞 中村 琢巳学生)

 

作品名:老若男女の分業による地場産業が活きるまち

 

 若者から老人まで、男も女も、全ての世代が活き活きと働き続けられるまち、そんなまちだったら、生涯にわたって安心して暮らすことができるだろう。今日、高齢化社会に向けた福祉のまちづくり、あるいは子供のためのまちづくり、女性のまちづくりなど、様々な世代に向けた取り組みがみられる。けれども、最も大切なことは、ある単一の世代や性別を対象としたものよりむしろ、あらゆる世代、男女の協力こそではないのだろうか。ひとりの人間は、若者から老人へと歳を重ねる。その過程は言うまでもなく、単なる身体能力の低下などいう単純な移行ではない。若者は若者の、老人には老人の得意とする分野、固有の能力がある。だから、一過性の潮流に乗って、若者から老人まで、男も女も、一斉に皆に同じ要求をすることは必ずしも得策ではない。皆を同じ枠組みに入れようとするまちは、たとえある一時期は住みよくとも、100年近い一生を活き活きと暮らせるまちとはいえないだろう。だから私の理想は、老若男女が、それぞれの能力を活かす形で働いていけるまちを目指そうということだ。そのためのひとつの具体策として、老若男女が分業して支える地場産業を育成することを提案する。

 

 福井県に今立町という、越前和紙の産地として知られるまちがある。伝統的な地場産業が、現代も活力をもって継承されているまちである。このまちの和紙産業のあり方のなかに、そのヒントを汲み取ることができると考える。

 和紙の生産過程は多くの段階を踏むが、ここでは簡単に流れを掴んでおくことに止める。@伐採、A剥皮(蒸して皮を剥ぐ)、B煮熟、C塵取り(水中で不純物や塵を取り除く)、D叩解(棒や機械で繊維をばらばらにする)、E紙漉き(水のはった漉き舟で紙料をすくう)、F圧搾(重力を加えて水分をとる)、G乾燥、以上の手順を経て、和紙が出来上がる。では、ある和紙工房の様子を眺めてみよう。乾燥室では、男性2人組が、紙が張り付いた板を乾燥機の中に手際よく入れては、外に出すことを繰り返している。掛け声を上げながらリズミカルに仕事をこなしている。吹き抜けの太陽光が満ちた明るい部屋では、女性がこれも2人組になって、紙漉き作業を行っている。職人は紙の厚さを均一にするために、水面を凝視している。薄い紙の製作であるだけに、繊細な動作が求められるという。また技術伝承の観点から、2人組のうち、ひとりは経験を積んだもの、もうひとりは、若者を組みにさせるという。そして、工房南側の最も明るい部屋の窓際では、老人が座って塵取り作業を行っている。仕上がりの光沢や色具合は、どれほどのアクを抜くかにかかっているといい、仕上がりを見通すことのできる最も経験を有している人々が、塵取り作業には適任だという。だからここでは、引退が存在しない。このように、ひとつの工房の中で、機敏性かつ力が求められる作業には男性が、繊細さを要求される作業には女性が、経験が求められる作業には老人が、それぞれの能力を活かすかたちで、分業体制が組まれているのである。この老若男女による分業に支えられて、和紙という伝統的地場産業が受け継がれている。まちは静かである。しかし、この静かなまちにこそ、本当の意味での活力を感じる。それは一過性のものではなく、生涯に渡って活き活きと暮らすことのできるものであるからだ。

 

 まちに末永く暮らしていける条件は、そこに生計を立てることのできるしっかりとした産業が存在することである。一般に会社勤めというと、歳を重ねるごとに新入社員から係長、課長、部長と昇進を繰り返し、終いには引退する。これも一見、若者から老人まで、それぞれの段階が用意されているようにみえる。しかし果たして、このような昇進や引退からなる産業は、能力を最大限に発揮し、一生に渡って活き活きと働くことのできるものであろうか。このような働きぶりからなる町は、生涯に渡って活き活きと暮らしていけるまちだろうか。私の提案は、歳を重ねるごとに、それぞれの能力を最大限に発揮するかたちでの、「分業」に立脚した産業に目を向けることにある。和紙工房は、この最良の事例を提供してくれる。だが実際は、日本の各地に残る伝統的地場産業の多くには、この「老若男女による分業」が認められる。同時に、地場産業の衰退、職人の高齢化、後継者不足の深刻化という問題が急速に進行しているのも事実であり、この事実が伝統的地場産業に見られるこの利点を隠蔽させてもいる。

 

 もう一度、まちに伝わる地場産業を、「老若男女の分業」という視点から見つめ直してみたい。加えて、この視点は何も伝統的な地場産業だけのものではない。これから新たに、まちに産業を根付かせようとする時にも、この視点を持つことは有効である。そのことが、生涯に渡って活き活きと住めるまちの基盤となると考えるからだ。

 

 

 

優秀賞 鎌田 康嗣JR東日本社員

 

作品名:21世紀の暮らしを支える、まちの再生と住まいのあり方を考える−

サブテーマ『こんなまちにしたい仙台体験記』

 

     はじめに+地域への想い

仙台に住みはじめて5年が過ぎた。転勤族の私にとっては仙台の地域に根ざす、地に足の着いた活動ができるのか、ずっと不安に思っていた。どこまで地域の活動に参加して、その地に思いを込められるかは本人次第だということは考えていたものの、行動には起せないでいた。まちをこうしたい、こんなふうに変えたいという意志はずっと住んでいるからこそ発想することで、ある日突然、異動を命令される転勤族には希薄であり、地域のことを考える余裕はないだろうと予想される。地元の方と転勤族とで、区別なしでまちを発掘する、再発見するアイディアを持ち寄ることが、大変重要である。

    通勤途中での発見

あるきっかけで仙台の荒町の路地を調べることになった。通勤は歩いて会社にいくことにしている。いろいろなルートがあるものの1つで、気になるのが荒町商店街経由のルートである。歩くたびに何か面白い空間が存在していると、気になっていた。歴史を調べてみると、伊達政宗時代からのまち割りが残る町(商店街)であり、町の中には路地が70ヶ所ちかく存在し、面白い空間を構成していた。その路地を朝の通勤時にデジカメで11つ撮影して、どのような路地かを分類をした。調査をすればするほど、面白くなってくる。通り抜けができたり、洗濯機がおいてあったり、井戸があったりと、住みたくなるような生活の匂いがぷんぷんしている空間が多いことがわかった。このときのスケッチや文章をA1版のパネルにした。このときから、このまちに、何かできないかを考え始めていた。       

    喫茶店主との出会い

荒町の路地や歴史を調べていると荒町の喫茶店を紹介された。その店主はまちづくり活動やまちに対しての思いを私に教えてくれた。そんな話をしているうちに、店主から2階に展示室があるという話を聞くことができた。そのときから、私は荒町の路地を調べていることや、個人的にスケッチ画を描きためているので、展示会を2階で企画してもよいかを相談した。その結果、5月に展示会をしてもよいとの了承が得られた。

スケッチ画+路地パネル展開催(in荒町)

 524日〜26日までの3日間、荒町の喫茶店で展示会を行った。100人の来場者で地元の人が約半数を占めた。地元のお店の方、町内会長、長年住んでいるおばあちゃん等と話をすることができ、荒町の歴史や街の移り変わり、周辺との関係を教えていただいた。私はこの体験の中で地元の人がちっぽけなスケッチ画展を気にかけて、足を運んでくれたことにうれしさを感じた。これをきっかけに荒町の建物、人、食べ物等を描いていこうと考えている。そのことがまちづくりにつながり、活性化につながればと思っている。 

    まちの環境変化

この何年か、荒町の環境を見ているがマンションが少しずつではあるが増えている。細長い敷地に1階にコンビニが入り、2階以上は住宅という建物が目立つようになってきた。長屋風になっているところには3家族が住んでいる状態、その後、相続税や諸条件により、今までの居住形態や建物が変わってきている現状がある。

    新しいシステムの構築+再発掘

スケッチ画展を開催し、喫茶店主との話から、どこの商店街でも起こっている現象の一つに各商店の世代交代がうまくいっていない現状があることが見えてきた。60歳代の経営者が次世代の経営者にバトンタッチできずにお店を閉めることや、ロードサイド大型店にお客を取られていることでお店を閉めるというケースがほとんどだ。この状況の中で考えられることは店舗の部分は貸し店舗、無償で貸す形態にし、ある程度は自由度をもたせ、SOHOやアート展示室、くつろぎ空間等を設置することで、シャッター通りという名はなくなるのであろう。それから、商店街同士の出資によって共有の駐車場や駐輪場を商店街の近接したところにつくることで郊外店に対抗できると思われる。それから、仕組みとして考えられるのは、規制緩和ということを前提に仮設的な建物を商店街に挿入することでお金をかけずに店舗づくり、改修工事ができるシステムで活性化を図ることを提案したい。

一方でまちの中にあるすべてのものを見直すことが重要である。たとえば、私が調べている路地、それから、蔵、井戸、銭湯、中庭住宅、地場産業、地元ゆかりのもの等を再度、確認することではないか。住空間と密接に関わる路地は、認識を新たにする必要がある。新しい試みは住民の理解が必要だが、荒町の路地ひとつ、ひとつに名前をつけて、町が一体となって路地空間を整備する、歩き回れる空間にすることを提案したい。

    まとめ

時代の変化や消費者動向、嗜好の変化によって、すまいやまちのあり方までもが変わろうとしている。大切なことは、人と人とが話せる町、潜在的なものが発見できることが住みたいまちになっていくと思う。

 

 

 

優秀賞 森永 智年九州職業能力開発大学校職員)

 

作品名:地域住民と共にあるコレクティブハウスの提案

 

 近所付合いの希薄化による「独居老人」の孤独死が社会問題化している。そこには,家族・職場中心の生活から定年,配偶者との死別を迎え,地域社会との関わりの薄さから「生きがい」を喪失し,誰にも見取られることのない「寂しい」老人の姿がある。

 一方で,子育てに疲れたひとり親による幼児虐待や無理心中が後を絶たない。その背景には,離婚と未婚の母等による「ひとり親家庭」の増加と相談相手もなく,子育てと仕事の両立に苦しむ「ひとり親家庭」の生活実態がある。

双方に共通することは,社会的に孤立した世帯で,地域社会との関わりが希薄である点である。その希薄化の原因は,核家族化の進展により地域コミュニティが暮らしを支え合う互助機能を失ったことにある。

かつての日本には「結」「衆」「構」「組」「連」の言葉に代表されるように地域を構成するコミュニティが各住民に果すべき役割とお互い助け合う機能を持っていた。ところが急激な都市化の過程で地域連帯意識とコミュニティ機能を失っていった。コミュニティの喪失は個人の地域社会との結びつきを希薄にしたばかりではなく,世代間交流の場や地域のしきたりをも失うことにつながっている。

地域住民の助け合う機能の脆弱化が指摘される今,地域が互助機能を取り戻すことは,まちづくりの活性化と福祉財政の負担軽減になるばかりではなく,成熟したコミュニティ再生の糸口を見出すことにつながる。

しかし,核家族化が進んだ現代社会において「煩わしい」近所付き合いを避けることに慣れた住民にとって,地域との関わり方を従来型の閉鎖的地縁コミュニティの復活に求めることは困難である。地域コミュニティ再生には,その時代に合う新しいタイプの地域コミュニティの必然性と仕掛けを準備しなければならない。

現段階では,地域コミュニティ再生の必要性は論じられるが具体的なアプローチの仕方については示されていない。

そこで提案であるが,地域コミュニティ再生の仕掛けとして,「独居老人」と「ひとり親家族」が生活面でお互い助け合うコレクティブハウスと地域コミュニティ施設の複合施設を設け,その地域のコミュニティ活動の拠点に位置付けたい。そして,地域ボランティアの協力を得て,「独居老人」と「ひとり親家族」が一緒になって他人同士がお互い助け合い・支え合うシステムを構築し,その地域の互助ボランテイア活動を展開する。その活動は,老人の「社会参加」と「生きがい」につながる活動と「ひとり親家庭」の「社会的自立」支援を中心として,各種福祉活動から育児相談等まで多岐にわたる。

この施設の存在と互助ボランティア活動が参画する人々に地域で自分が果すべき社会的役割の自覚を促し,地域社会の一員として活躍できる場とその必然性を提供することになる。

そして,世代間交流の場,地域コミュニティ育成の場と地域互助機能を取り戻す切掛けになり得ると考える。

また,義務教育の場でもボランティア教育として子どもたちを地域の現場に出させようという動きがはじまりつつある。子どもたちがこの施設のなかで生の人生体験や老人の死を経験することで「命」の大切さや助け合う事の必要性を学習する機会になるかも知れない。

「老後にひとり身になったら,この地域でこの施設で暮らしたい。」「離婚してもあの施設であれば,ボランティア活動で知っているので安心して子育ができる。」といえる施設と活動が豊かで成熟した地域コミュニティ再生の糸口になると考える。

 

従来,社会的弱者の支援は「官」の役割に組入れられ,税金よる福祉施策として対応がなされてきた。しかし,財政難に喘ぐ画一的な「官」の対応だけでは「血のかよった援助」は既に限界にきている。個別的福祉対策は,「老人施設」や「母子寮」等にあるように「まちづくりの視点」からみれば点的対応で無駄が多く,地域社会との関連が薄い。行政側も地域福祉施策の個別対策としてではなく,まちづくりの視点から「コミュニティ計画」として総合的な計画を策定する必要がある。豊かで成熟した地域福祉環境を目指すのであれば,地域ぐるみの福祉対応を「官」と「民」が補完し合う体制づくりとまちづくりが急務といえる。 

 

 

 

 



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