混凝土/最新技術は拒否される?

 日本では、アメリカを亜米利加、フランスを仏蘭西、ドイツは独逸と当て字をし、それらを略して米、仏、独と表記するのは今日でも行われています。
さて、明治期から大正期の建築技術書によく出てくる「混凝土」はどう読むのでしょうか? これは当て字のなかでも傑作だと思います。「コンクリート」。音と意味がみごとに合体していて感心させられます。
 コンクリートとは、セメント、砂利、砂と水を混(・)ぜ、擬(・)似的につくる人工の石、と当時は一般的に理解されていました。「凝」の字は固まる、の意味も持っています。命名者の意図はおそらく、「土を混ぜて固める・固まる」ということでしょう。
 北海道函館市は大火事の多いまちでした。大谷派本願寺函館別院の現在の建物は、前身の木造本堂が1907年(明治40年)の函館大火で焼失した後、耐火建築を目標として鉄筋コンクリート造で再建されました。15年(大正4年)11月竣工、築94年です。
 北海道ではほとんど初めての鉄筋コンクリート建築工事でしたので、担当した工事監督さんは大変な苦労をしました。特に厳しかったのが、檀家衆の猛反対でした。
 その言い分は、「混凝土は、もともと俗人凡夫の踏み付ける不浄の地面から採取したもので、これで造る御堂へは、大切なる御仏、祖先の霊をまつることはできない」「泥土に等しき不浄極まる混凝土を流し込みて造るので、その脆弱さは解りきっておる」「得体の解らぬ泥細工云々・・」
 檀家にとって、初めて見る新しい建築材料、さらに「混凝土」の字面のイメージのその物は、拒否すべき不可解で醜悪な物体だったのです。
 このことは、建築に新技術が導入される際の、一般の人たちの極端に消極的、保守的な反応として大変興味深いものです。
 現在この本堂は、耐震補強を施した上で、鉄筋コンクリート造で伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として、国の重要文化財(建造物)に指定されています。
 ちなみに日本における鉄筋コンクリート造り建築のさきがけは、1905年(明治38年)竣工の某倉庫とされていますが、これは現存しません。現存する最古かつ本格的なものは、横浜市の日本大通りに面して建つ横浜三井物産ビルで、11年竣工。今日でも現役のオフィスビルです。
 一方、鉄筋コンクリート造り集合住宅(アパート)で最も古いものは、長崎県軍艦島に残っている30号棟と呼ばれる7階建ての建物で、16年竣工、築93年になります。往時は住居数145戸を擁していましたが、現在は無人の廃墟と化しています。
 現役で最古の鉄筋コンクリート造り集合住宅は、近年リノベーション(改修)工事が完成した東京都文京区の求道学舎(26年竣工)です。

(建築研究所 建築生産研究グループ・材料研究グループ 長谷川直司)

 

【写真】重要文化財 大谷派本願寺函館別院本堂

重要文化財 大谷派本願寺函館別院本堂


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